あたりに露天商 消防署があります。
この神社は他に比べて沢山の御祭神が祀られています。
御由緒にある比叡御社とは滋賀県大津市坂本にある日吉大社 通称山王権現
猿を神の使いとしている神社で 本宮は大己貴神と大山咋神を主祭神としています。
比叡山延暦寺の守護神でした。その後 比叡山は釈迦如来が垂迹した山となり
神仏習合の始まりとされています>>>>>数冊の解説書より。
千僧供養日記1177年の記は厳島神社造営が1168年といわれていますのでそのころ
神社守護で迎えられたのかもしれません?
写真の中央は 佐伯鞍職、安徳天皇、所翁
二位の尼、岩木翁、大綿津見神
6柱が祀られています。
佐伯鞍職 所翁 岩木翁 は 地元の
豪族の祖先です。
安徳天皇 二位の尼 そして
清盛は平家一門です。
壇ノ浦の戦いの後 京都が巨大地震
に見舞われます50年に一度余震3か月
清盛の怨霊と噂が飛びたち
源氏に従った平頼盛が 宮島の紅葉谷の上
流に3柱の宮をたて 毎年2月と11月の酉の日に 6ヶ衆各、内侍10人、舞方、楽人18人
壮大な規模の祀りを盛大にそれでいてヒッソリと執り行いました。
(広島県立大学 松井教授 宮島学より)
江戸時代に入り紅葉谷の社から山王社で酉の祀りが行われるようになります。
向かって右の社の祭神は御子内侍、竹林内侍、徳寿内侍
の祖神
厳島神社の目玉は唐髷唐衣の美形才女が姿形よろしく
舞楽神楽今様祈祷お告げとまさに竜宮城の再現をします。
内侍は乙姫様。
神社には特別内侍橋もあり発言権があり清盛の後ろ盾もあったのでしょう。
大綿津見命は竜宮城の神であられる。
山王社は猿が神の使いで、江戸時代は鹿と同様に大切に扱われていたことが
十返舎一九の宮島参詣膝栗毛のなかに登場します。
明治の神仏分離で山王社が三翁神社に代わり 猿も神から猿に戻った
そして鹿も鹿に戻ったがおとなしくかわいいので
宮島の観光大使になっています。
最後に平清盛は清盛神社に特別に祀られ銅像はフェリー乗り場広場に祀られ
宮島の大恩人と皆様から大切にされています。
最後の最後 猿田彦神の関わりがわかりませんでした。
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